こんにちは、「運命の雛見沢」です
アラスカから南極圏までの空を飛び、世界最大の距離を移動すると目されている渡り鳥「キョクアジサシ」
求愛の果てに、最愛の異性へ自身のウンコを投げつける「ゴリラ」
贔屓球団が優勝すると、小汚い川へ自ら飛び込む「虎党」
これらのように、動物には『習性』というものがある
種の存続や生命維持の観点から考えれば「なるほど」と腹落ちする習性もあれば、世界中の生物学者が全知を結集させても理由が明らかに出来ない習性もある
「レミングの集団自殺」のように、ひとつの壮大な物語になぞらえて伝説化された習性もある
人間界にも勿論、習性は存在する
2月中旬にチョコレートを贈ったり、10月末に渋谷警察の業務負担を激増させたり、4月末に欧州には縁もゆかりもない秋葉原の陰キャが、とある作品と紐づけて、ドイツ&北欧の夜を想ったりもするプルギス
上記のように定期的に、または時節柄で発現されることが多い習性だが、中には時節を問わず、自然発生的に発現する習性もあるのだ
今回はその中でも実に不毛な習性である、
「スロ専業」と「スロ兼業」のマウントの取り合い
について私見を述べたいと思う
そもそも大前提として最初に言っておきたいのは、両者共に目糞鼻糞である、ということだ
そして、ぼく自身が「両者の立場に身を置いた事がある」ということも付け加えおく
20歳から4年間ほど、アルバイトすらせずに『専業』としてスロットに向き合っていた時代があった
40歳から現在に至るまでの5年間ほどは『兼業』として会社員と2児の父親をやりながら、スロットで泡銭を稼ぐような生活を現在進行形で行っている
両方を経験しているぼくに言わせれば、それぞれにメリット・デメリットはありながらも、その一長一短は当該者の年齢や時代背景に大きく左右されると思う
今から20年前はバブルもはじけた後で、「就職氷河期」と言われた時代背景もあり、「安定した職に就く」という事に関して、そんなに簡単じゃなかった時代だった
当時『ニート』という言葉も生まれ、働かない若者、というカテゴリが社会問題になりつつある時期だった
半ば現実に絶望し、半ば現実から目を背け、「働いたら負け」と本気で思っている若者が市街の往来を闊歩していた
じゃあ「ぼく」は、というと、
自分の当時の意識を追想してみると・・・単純に「人生をナメたクソガキ」だったと思う
団塊ジュニアと呼ばれる我々世代は、一般的な家庭であれば衣・食・住に特段困らず、小学生時代にはファミコン、思春期にはプレイステーション、青年期にはドリームキャストが世の中を席巻するリアルタイムを過ごしており、サブカルチャーの飛躍的進化と並走して成長した世代だ
さすがに世代代表例にドリームキャストは言葉が過ぎた。お詫び申し上げる
先人たちが敗戦を乗り越え、苦労の末に造り出した時代を、クソジャリが我がもの顔で肩で風切って、のうのうと生きていた時代だ
そりゃあ大人もナメるし、社会もナメる
働かなくとも、ホールに行けば機械割140%を超える最高設定と、105%を超える最低設定を誇る機種にありつける
そんな甘やかされた環境で働く気なんて起きるわけもない
今ほどSNSも発達していないし、高設定示唆・確定画面もない
マイスロ・ユニメモのようなデータ搭載もなかったので、情報はメモを取るか、足を使って入手するか、有力店のジグマ常連と仲良くなるしかなかった
そんな野性的な状況でも、専業が叩き出す年収は4桁を超えていた
PCスキルが一太郎で止まっている原始人でもクランキーコンドルの完全攻略はできたし、数学を因数分解で挫折した中卒でも大花火の3連ドンちゃんを狙うことはできた
そんな2002年の給料事情だが、他業種を例に出して比較してみる
『火の玉ストレート』と称された球界のレジェンド・藤川球児投手を例に挙げよう
松坂世代の一人として阪神タイガースにドラフト1位で入団し、ゆくゆくは球界でNo.1クローザーの地位に辿り着く彼だが、2002年は700万円の年俸で契約更改を済ませている
覚醒前とはいえ、球界髄一のプロスペクト・ドラ1の年俸を超えていたのが当時の『スロ専業』だった
一方、今の時代はどうか
就職環境に関していえば、当時よりも業種は増えて、選択肢も多様だ
「youtuber」なんて最たるもので、趣味や娯楽の延長を仕事にする事も可能な時代なのだ
ひと昔前より起業もやりやすく、手厚い後ろ盾を得て、社会的リスクヘッジをしながら起業できる時代でもある
世界がコロナ禍に見舞われる、今から5年ほど前にホリエモンがどこかの著書で、
「仕事がないから、収入がない」というのは、言い訳に過ぎない
誰にとっても、仕事は「引き受ける」ものから「作るもの」へと変わっていくのだ
と語っていたのが印象的で、よく憶えている
時代は既に当時から、「受動の社会」から「創造の社会」へと変化を遂げようとしていた
事実、多様化の中から「配信者」という職業が一定の市民権を獲得し、少年少女たちの「将来なりたい職業ランキング」でも上位に入り込む時代になっている
じゃあ逆に言うならば、「スロ専業」だって一つの「職業」の選択肢と言える
趣味・娯楽の延長を仕事にする配信者が「YES」で、同じく趣味・娯楽を仕事として向き合うスロ専業が「NO」となるのは、単なる一般論を盾にしたバイアスではないか?
まずは両者を同等の物差しで推し量る前提で、「収入」および「社会的価値」を比較してみよう
Googleから金の盾を送られるようなyoutuberがどれ程の収入を得ているかご存じだろうか
広告を付けやすい系統の番組かどうによって多少の差異はあれど、ミリオン登録ch演者のその月収は「300万~1000万円」と言われている
自身の番組を最大限に運用し、モニタリングやマネタイズが上手で、ライバル(キャラ被り)も少ないような配信者であれば、年収は1億を超えてくるであろう(あくまで雛見沢調べです)
社会的価値においても、それだけのタレント性があれば一般人からの憧れの的となり、目標とする後進が現れるのも必定だ
コアなファンを獲得する事ができれば、スパチャで投げ銭をぶち込んでくれる「太客」などという者も囲い込める
つまりyoutuberは「収入」の面においても、「社会的地位」の面においても、もはやヒエラルキーの上級職業と言える
上級職という言葉になじみがない方もいるかも知れないが、例えるなら、
ASAYANオーディションで言う所の平家みちよあたりは言わずと知れた上級職である
一方でスロ専業はというと、まずは「収入」の定義だが、
現代の適合試験を通過した機種は、最高設定の機械割でも114.9%である
そして、全国的な最高設定=設定⑥の投入率は0.65%と言われており、ホール設定台数から導き出される数字は、およそ150台に1台だ
しかも全ての機種の設定⑥が114.9%を誇るわけではないが、ここは仮に、毎日スーパー専業プロフェッショナルが「革命機ヴァルヴレイヴ」の設定⑥をツモり、奇跡的に全ての日がミミズではなかった、と仮定しよう
もちろん稼働G数は10,000G/1日、回していただく
IN:30,000枚の114.9%は+4,470枚
都内の51.25枚交換で考えると、87,000円の日当
これを30日毎日繰り返すので、月収は2,610,000円だ
可能性の数値だけを並べてはみたが、これだけの奇跡は現実的に不可能
そんな不可能を可能とする前提だとしても、100万人登録者youtuberの月収の最下層にすら及ばない
そして「社会的地位」だが、
もしも娘が連れて来た彼氏が定職に就いておらず、沖ドキの各条件下における期待値を事細かに説明できたとしても、父親には名前を聞かれることもなく「二度とうちの敷居を跨ぐな」と塩を撒かれるだろう
誤解しないで欲しい
ホールで沖ドキの期待値を脳内で瞬間的にはじき出せる能力は立派で優秀なスキルだ
問題は、そのスキルが一般社会で役に立つケースが極めて少ない、故に一般的に評価されないスキルだという事になってしまう
ボールを足蹴にして枠内に上手に蹴り込める能力は世界で称賛されるし、数十億の経済効果と数億の報酬まで視野に入る
だが、銀色のボールをバネで釘内に放り込む能力は小銭を稼ぐには充分だが、社会的経済効果は皆無なのだ
この論争が決着をみないのは、
専業は「ホール限定での時給・立回りのメソッド・組織に縛られない自由性」を主観で語り、
兼業は「社会的地位・自由な人種への嫉妬・将来性が乏しい人種へのマウント」を主観で語るから、終わるわけがないのだ
同じ白黒の駒を用いてはいるが、方やオセロを、方や囲碁を興じているようなものだ
会社で嫌な事があった兼業は、自分より社会的地位が低いと判断した専業を鼻で笑い、実は自分でも詳しく知りもしない「納税義務」というハリボテのつるぎを振りまわす
一方専業は、退社後、ひと時の娯楽を求めてパチ屋に来るスロリーマンに対して鼻で笑い、朝から軍団ぐるみや打ち子で高設定仕掛けを占拠し、そんな活気を尻目に、「ただ打ちたい」という欲求に負けて趣味打ちしてしまうリーマンを「養分」と嘲笑う
もうやめないか?こんな不毛な争いは
冒頭でも言ったが、目糞鼻糞。どんぐり・・・いや、きのこたけのこの背比べだ
「パチンコ屋」というゴミ溜め、そんな限定的な定義下でディベートする時点で、どっちも「負け組」、果てしない闇だぜ、兄弟
本来人間は、もっと大きな尺度で人生観や幸福論を語るべきだ
今の自分思考を冷静に考察すると、当時、幼すぎて消えた帰らぬ夢の面影を、ホールですれ違う専業に重ねたりしてるのかもしれない
「おい、キッズ。朝からぱっすろもいいが、俺のように人生遠回りするんじゃねえぞ」
そうやって助言してくれる大人に出会えていたら、今とは違った生き方をしていたかも知れない
一度きりの人生の、有限たる時間を無駄にしかねない未来ある若者を、お節介にも危惧しているのかも知れない
夢中で駆け抜けてみても、まだ見えぬ、明日に怯えていたあの時代が蘇るのかも知れない
人は余裕を失うと好戦的になる
争いを好むのは、自分の心に余裕がない証拠だ
ディスクでビタ押ししようと思った瞬間にメニュー表を目の前に差し出してくるバカで無礼な能なしコーヒーレディに腹が立ってるんじゃない
その程度のハプニングでミスする自分に腹が立ってるんだろ?
白鯨攻略戦に1体撃破を2個持った状態で挑むも3戦目に負けて、「デキレだ!」って喚いてても、ホントは自分が叩いた結果だって分かってるんだろ?
まあ、肩の力抜けよ
専業も兼業も間違っちゃいない
失敗の理由は「供給不足」だし、そうやってモタモタしてる間に、翌年、全てが上位互換のプレイステーション2がリリースされてしまっては、不運と言う他あるまい?
大切なのは「自分の心にワリカンが出来るかどうか」だ
費やす時間、かける体力、失う何か
それらを天秤にかけて、自分の心が納得いくならそれでいいじゃねえか
そうやって自分が納得して楽しんでる領域で、見知らぬ他人も楽しそうならそれもいいじゃねえか
人類皆、兄弟
地球に衝突したら絶望的な小惑星が飛来したら、我々は共に立ち上がり、共に神に祈り、共に幼子を庇う様に抱きしめる、愛すべき隣人なのだ
飢えたから奪う?
惚れたから脱糞して投げつける?
勝ったから川に飛び込む?
それでは単なる動物の単細胞思考に過ぎない
人間には動物的習性以上の、「考える力」があるのだ
自分は今は兼業だが、仕事に向き合っている時間も、スロットに向き合っている時間も常に真剣だ
朝から打てる専業を羨ましく思う一方で、朝から会社へ出勤できる自分を誇りに思っている
敵は他でもない、「弱い自分」だ
粗暴な言葉をSNSという秘匿性を隠れ蓑にして投げかける前に、その心無い言葉が、見知らぬ誰かを傷つけるかも知れない可能性を考えてみないか?
専業も兼業も勝利も敗北もないまま、「命の価値」は等しく、孤独なレースは続いていく
人間最後は誰しも死んで、土に還るのだから
see you next party time...